全長寺 本堂(滋賀県重要文化財指定)
本堂は寛政元年(1789)に建立された方丈型仏堂で、正面に向唐破風(むこうからはふ)の玄関をつけ、屋根は入母屋造、茅葺形鉄板葺(元茅葺)。
広縁があり、堂内に入ると露地土間の細長く高い天井の大きな空間が広がる。勾配があり高い屋根は、雪深い湖北地方特有のものである。建物には改造部分が少なく、建立当時の伽藍形態を残し、庫裡と共に滋賀県の重要文化財指定を受けている。
本堂は寛政元年(1789)に建立された方丈型仏堂で、正面に向唐破風(むこうからはふ)の玄関をつけ、屋根は入母屋造、茅葺形鉄板葺(元茅葺)。
広縁があり、堂内に入ると露地土間の細長く高い天井の大きな空間が広がる。勾配があり高い屋根は、雪深い湖北地方特有のものである。建物には改造部分が少なく、建立当時の伽藍形態を残し、庫裡と共に滋賀県の重要文化財指定を受けている。
「今も自然豊かな地域ですが、40年前までは本堂も茅葺きでした。茅葺の家が集落にも数多く、昔ながらの山里の風情を残していたんですよ」と奥様。
全長寺は、毎年秋に開催される「余呉まるごと里山芸術村」の展示会場になるなど、文化財である本堂の活用も積極的に行っている。
馬頭観音菩薩像は元、天台宗万福寺の本尊であった。万福寺は戦国時代に焼失し、その後慶長16年(1611)山麓に再建されたが、明治に入って寺院の老朽により、本尊馬頭観音像は全長寺に移され今日に至っている。
像は彩色美しい寄木造りで、頭上は馬頭と二つの側面をもち、焔髪忿怒の相で六臂の立像。肘や脛をあらわに蓮台に立たれる姿は、諸悪を打ち払い人々の願望をかなえてくださるといわれ、また交通の守護神としても古くから信仰されている。
境内随所に七福神像も建立されており近隣の福祉施設の利用者等も自由に散策している。
見どころが豊富にある全長寺だが、その一つが本堂脇の庭にある臨済宗の禅僧、仙厓義梵(せんがいぎぼん)禅師(江戸時代)の代表画、○△□図を模写した前栽である。修行の段階を表すとも、「大宇宙」を表現したものともいわれるこの図を元に、好奇心旺盛な住職が図の意味に感銘を覚え造園したものである。
また、書院奥にある前栽も興味深い。「逆琵琶湖」と呼ぶ池とその後ろに控える行市山を借景として、築山とこの池と後ろの山全体を庭とする発想で造園され、その趣きは江戸時代の作風を今に伝えている。
寺の魅力を伝えるための努力を惜しまぬ住職。奥琵琶湖地帯の余呉町は米どころ。「京都に釜炊きのごはんを出す店に行列ができている」と聞けば、わざわざ京都まで足を運んで試食するなど、少しでも町の役に立てばと奔走している。
「井の中の蛙ではいけません。蒔かぬ種は芽を出さぬと言います。とにかく人の集る所で寺のPRをする。寺を解放し、皆が使ってこそ公益法人としての価値がある、宗派を超えて人々に来てもらうために何ができるかを常に思考することが大切だと思います」と話す。
「蛙が鳴き、蛍が飛ぶ里。自然に恵まれたこの環境を次世代の子供たちに残す、それが私たちの使命です」
宗教者であると同時に一人の大人としての責任を念頭に置き、魅力ある寺づくりに取組んでいる。